June 2021

ヴィナヤクをオープンしました

この度、ロパナジャパンより独立して、アーユルヴェーダサロン ヴィナヤクをオープンいたしました!千葉駅から徒歩5分の女性専用の予約制プライベートサロンです。 アーユルヴェーダとロパナジャパン代表の石井美紀先生との出会いが私の人生を大きく変えてくれました。本当の自分を見失い、幸せすら分からなくなってしまった私にアーユルヴェーダは”ありのまま、そのままでいい”と教えてくれました。 アーユルヴェーダセラピストになるまでの経緯をブログに書きましたので、お読みいただけたら嬉しいです。 アーユルヴェーダセラピストとなるまで 店名とロゴに込めた思い 店名もロゴもスガルの葉・インド占星術から導かれました。1000もの数があるガネーシャの名前から、直観で「これだ!」という出会いを得た”Vinaayak”を店名に。そして、私の前世であるという南ケララの女性の名前が意味する孔雀をロゴに。孔雀はインドの国鳥でもあり、とても美しい鳥で、私の目指す「女性の美を追求する」当サロンのイメージそのもの。 サロンではインドのアーユルヴェーダセンターから取り寄せたオイルやパウダー、そしてインドの基礎化粧品を揃えて、皆様をお待ちしております。 2021年6月24日(木)千葉駅徒歩5分にOPENです! アクセスはこちら

私の母の病気とアーユルヴェーダ

母の病気 私の母は42歳でくも膜下出血、脳出血、水頭症をやり、左手に後遺症が残っています。 何度も手術が成功しても、更年期障害、自律神経を乱したりと、救急車を呼ぶ事も多かったんです。 季節の変わり目や、気圧の変化が激しい時も、具合が悪くなり、その度私は母を介護していました。目眩を起しトイレに行くのにも立ち上がれなかったり、夜中また母が具合が悪くなったらどうしよう…と不安になってなかなか寝れない日もありました。 歳を重ねるごとに生きる気力がなくなっていく母… 毎日母の事が心配で気が気じゃなかったし、私の心配も年々大きくなっていきました。 アーユルヴェーダとの出会い 私の人生このままでいいの?と気づいた時、アーユルヴェーダに出会ったのです。 私の人生まだまだやらなきゃいけない事、やりたい事が山積みだと思った瞬間、私はただひたすら母にアヴィヤンガ(アーユルヴェーダのオイルマッサージ)をやり続けていました。 そんな母も、生きる気力がみるみる蘇り、脳に記憶していた「また病気になるんじゃないか。」の病気への不安もほとんど消えるほど、母もアーユルヴェーダが大大大大大好きです。 アーユルヴェーダで元気になった私も母も、自分が経験していた、辛い辛い「不調、病気」だった気持ちを忘れてしまうくらい、看病に明け暮れて心配性の魔法にかかっていた私の気持ちも吹っ飛ぶほど、今は毎日、母がすごーく元気すぎてうるさい(笑)くらいです。 こんなに笑える日が来るなんてと、母も私も喜びが溢れています。 おかげで、静脈瘤があった事が嘘のように母の脚もこんなに綺麗になりました。 治らない病気も、不調もないと信じて、今日もアーユルヴェーダを伝えます。

過呼吸症候群~アーユルヴェーダセラピストとなるまで

過換気症候群 四年前の今頃私は過換気症候群と診断されました。それまでたまにドクドク動悸のようなものを感じたり、食欲も落ち、たまにふらついたりして、食低血圧だからかな?と思っていた。 食欲がなくても、「食べなきゃ何かが崩れる」と怖かったから、無理矢理頑張ってご飯を食べていた。 ある日、いきなり息苦しくなって、ソワソワし始め、慌て始めたら、呼吸ができなくなってしまったのだ。 その時一緒に居た友人にお願いして近くの病院に連れて行ってもらった。 受付は終了しています。と言われた瞬間、また焦りに襲われ、呼吸が更に苦しくなって、立ってられなくなって、受付の人がすぐに車椅子を用意してくれて、中に運んでもらい、帰宅途中のドクターを呼んでくれて、ベットに寝かせてくれた。目の前がチカチカするし、意識はあってもなぜ呼吸がずっと苦しい。何かの病気なのかな、このまま手術かな。なんて思いながら、血圧を測られ、採血され、されるがままドクターを待った。ドクターが来て、「過換気症候群ですね。」と。 私は、聞いた事のない名前に、え?それは何?と意識が出てきて、段々と苦しかった呼吸が和らいできて、目の前の映像がはっきり戻ってきて、ドクターの話を聞くと「急なストレスや不安により、起こるものです。心配なら今から安定剤の点滴できますが、やりますか?」と言われ、「安定剤」の言葉にビビりすぐ断った。 「お守りがわりに安定剤を処方しておきますね、落ち着いたら家の人に迎えに来てもらってお帰りください」と言われ、今まで手にしたことのない安定剤を処方され、帰宅したのです。 帰ってからも「焦り、不安」な気持ちは続いていて、頭の中で「なぜこんな事になったんだろう。私がパニックになるなんて、精神の病いだなんて…」とショックを受けていた。 変わらず食欲もないけど、頭では食べないともっとひどい事になりそう。と「不安」でご飯を食べ、眠くないのに、「体が重たくて、たくさん寝たら早くよくなるんじゃないか?」なんてまた気持ちが焦り、毎日不安でいっぱいになっていた。 解決方法の模索 母親として子供に不安になってほしくない。こんな姿は見せたくないという思いを奮い立たせいつも通り!を毎日頑張った。つもりだった… その後もドクターから念の為循環器科の受診を勧められ受診しても「問題ないですね」と言われるだけ。解決方法は何なのか!?と毎日健康番組見たり、本やネットで検索し、ありとあらゆる“健康”と言われるモノをとにかく心がけてみた。 飲んだ事ない量の水を毎日3リットル飲んだり、塩分が足りないと思い梅干しを食べ続けたり、スムージーがいいと思ってミキサーを買って、グリーンスムージーを飲み続けたり…。 子供が行きたいという映画に連れて行っても大きな音で動悸はするし、人が多い日のスーパーでも緊張し後頭部に違和感を感じたり、電車なんてとんでもない!想像するだけでドクドク緊張し始めるほどで、子供に注意しようとするとまた呼吸がうまく出来なくなったり… どこへ行くにも、地方に旅行に行くにも国内なのにキャリーケースに2リットルの水を3本積み込むほど、不安な日々でした。 婦人科で更年期用の加味逍遙散や冬季芍薬等などの漢方を処方してもらったり、内科でプラセンタをお尻に打ったり。 根本的な改善はしてないと感じてはいたけど、どうにか治したい一心と、悪化を怖がりいろんな事を試しました。 ヨガとアーユルヴェーダ そんな時友人がヨガに誘ってくれて、体験レッスンに行ってみたら、“呼吸法”を実践した瞬間、頭の中と心の中のモヤモヤ滞っていた何かが一瞬にしてなくなっていった。 コレだ!私には一生コレが必要だ!と思い、RYT200(ティーチャーズトレーニング、ティーチャーにはならないけどと思いながら)を取ろうと決めたのです。 ヨガソルナでのティーチャーズトレーニングが始まり、新しい仲間との出会いもあり、哲学や栄養学、心理学のクラスがあって毎週トレーニングに行くのがすごく楽しみで楽しかった。 今まで一度も聞いた事も目にした事も全く知らない、アーユルヴェーダの受講の日、なぜかワクワクしていて、急いでクラスに向かい、パッと部屋の中を見ると…ぶわっ!とクラスの中から感じたことのない空気を感じ挨拶すると、「はーい」と少し気だるそうだけど可愛い笑顔の先生が座ってる。 これがロパナジャパンの社長、石井美紀先生との出会いだった。 石井美紀先生との出会い 目が逸らせないくらい、先生に釘付けになり、アーユルヴェーダの内容は勿論、先生の生気に心奪われたような感覚。でもあれ?先生ノーファンデじゃん!?と気づく…笑 私はとっさに先生のサロンに行けばこんなに綺麗になれるのか!?と思い外側からの興味なのか?と自分でも変な感じに気づきながら、これは行くしかない。と絶対的な思いに予約を取りたいとお願いをした。 当時は値段に一瞬驚いたが、施術を受けながら止まらない私の話に先生は淡々と答えてくれて、90分の施術はあっという間に終わり、シャワーを浴び椅子に座った瞬間、お尻が椅子につく感覚がアレ?といつもにない感じ。先生に「帰り道気をつけて帰ってね、ぼーっとする人がいたりするから。」と言われ、家に帰って夕飯は何にしようかと考えながら運転をいつもより気をつけながら帰宅した。 はじめてのアーユルヴェーダの効果 家に入った瞬間安心したのか、施術のせいなのか、ソファに座った瞬間今までの人生で感じたことない大きな大きな「脱力感」でしばらく動けなくなった。 それは嫌な感じなんかじゃなくて、不安もない、いつも思わされていた緊張感や焦りも一切ない、味わった事のない安心感に襲われたのだ。 母親になり、そしてシングルマザーになり、必死に働き、動いてないといられない性格だからなのか、こんなに椅子に座り続ける事なんてしてきた事がなかったのだ。 「ご飯の支度しなきゃ」なんて頭に“やらなければいけない”リストが一瞬浮かぶのだが、フッと消えていく…ぼーっとして、心地の良さが続いた。 「ただいまー」と子供が帰ってきて、我に返ったように立ち上がると、足の感覚、全身の感覚が意識が張り巡らされるように体が「元気ー!」と言っているようにも感じた。 その日ずーっと飲み続けていた薬をゴミ箱に捨て、沢山頑張って飲んでいた水を飲むのをやめ、願掛けのように通っていたプラセンタの注射の予約もキャンセルした。 自分でも信じられなかったが、【私は治ったんだ。】と心から思えたのだ。 ロパナとインド それから段々とロパナジャパンアーユルヴェーダ、美紀先生の所へ通い始め、いつの間にか、ロパナのアーユルヴェーダスクールに通い始め、インドに行き、本場のアーユルヴェーダを受け、次の月にはインドのアーユルヴェーダトレーニングを受け、スクールを無事卒業し、ジュンヌロパナで働かせてもらい、今独立を決め、ひとりでも多くの人にアーユルヴェーダを伝えたい思いでサロンを立ち上げました。

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